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MAYA CABLE
100 Years
Anniversary

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摩耶ケーブルは天上寺の参詣客を運ぶ目的で、大正14年1月6日に摩耶鋼索鉄道株式会社により営業が開始されました。水害や戦争、震災を乗り越えて、令和7年1月6日に開業100周年を迎えました。

EVENT

イベント
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100周年号出発式

2025年3月20日(木・祝)9:20〜

場所:
内容:

摩耶ケーブル駅構内
100 周年記念ヘッドマークのお披露目

駅長による出発合図

100 周年を記念した駅構内の装飾や記念動画の放映

ロープウェー虹の駅構内パネル展の開催

当日乗車したお客様への記念ノベルティの配布(数量限定)など

記念ムービー

MAYA CABLE
100TH CONCEPT MOVIE

COMING SOON

メッセージ

MESSAGE

 摩耶ケーブルは大正14年の開業以来、2,300万人を超えるお客様にご利用いただいております。この間、幾度か休止期間がありましたが、本年1月6日に開業100周年を迎えることができました。
 これもひとえに皆様のご支援、ご愛顧の賜物と心から感謝いたします。

 摩耶山では、646年、法道(ほうどう)仙人により「忉利(とうり)天上寺」が開山されております。後に弘法大師が唐より摩耶夫人像を持ち帰り、このお寺に祀ったことから、この山を摩耶山と呼ぶようになったと伝えられています。摩耶ケーブルは、この天上寺の参詣客の利便を図るため、摩耶鋼索鉄道株式会社(現神戸六甲鉄道株式会社)により日本で4番目に古いケーブルカー(現存では3番目)として開業しました。

 その後、昭和13年の阪神大水害では線路流失などの大被害を受け、太平洋戦争では鉄材供出のため営業休止を余儀なくされました。
 昭和30年、運行を再開することになりますが、山頂までのロープウェー建設の機運も高まり、同年7月に神戸市交通局により奥摩耶ロープウェイ(現摩耶ロープウェー)が開業され、掬星台での素晴らしい景色を気軽に楽しんでいただけるようになりました。
 平成7年の阪神淡路大震災では駅舎や設備に大きな被害を受け、長らく休止しましたが、市民の皆様からの再開要望により、平成13年に神戸市都市整備公社(現神戸住環境整備公社)が、ロープウェーとともに「まやビューライン」として運行を再開しております。

 このように何度も危機を乗り越え復活した摩耶ケーブルは、多くの市民の皆様に愛されながら、100年前と同様、今も摩耶山の急斜面を駆け上がっています。

 今年は、摩耶ケーブル100周年だけでなく、7月には摩耶ロープウェー70周年を迎える特別な年です。二つの周年を記念して各種イベントを企画しておりますので、皆様には摩耶山でのひと時をお楽しみいただければと存じます。

 今後とも皆様に愛される地域交通として、また神戸観光の一翼を担う交通機関として、安全・安心な運行に努めてまいります。
 この100周年・70周年を契機として、摩耶山をはじめとした六甲山全体の活性化に一層努力してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

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令和7年1月

株式会社こうべ未来都市機構

代表取締役社長 山平 晃嗣

 山上に住む私にとってケーブルカーは通学通勤の手段であり、人生の殆どの間お世話になりました。思えば定期券を提示した記憶がない。定期券を持っている人は山全体でも数人であった。全員顔パスでした。駅舎は荷物の受渡しや預け場所でもありました。売店や茶店、お寺に遊園地もあり、人情とご利益を運んで頂きました。

 百年間有難う。これからも夜景見物のカップルやインバウンド客を運んでやって下さい。

摩耶山天上寺

貫主 伊藤浄真

 摩耶ケーブルが100周年を迎えること、心よりお祝い申し上げます。
 私は生まれて60年間余り、灘区に居住していますが、摩耶ケーブルには何かと思い入れがあります。
 昭和40年代頃、居宅の北側の窓から、遠くに活躍して摩耶山全面が見えていて、前面を小さな摩耶ケーブル2両がゆっくり上り下りしているのが脳裏に残っています。
 また、冬場にケーブルに乗って奥摩耶で雪遊びをしたことも良い思い出です。これからも市民の山、摩耶山の足として活躍されることを願っております。

摩耶山再生の会

会長 小林晋一

 階段を上り、ケーブルに乗る。こども達が真っ先に車両の先頭に陣取る。汽笛が鳴る。ゴロゴロ音を立てながら硬いレールゆっくりと進む。前方にトンネルが見える。こども達が緊張し、耳をふさぐ。ふぁーん。また汽笛が鳴る。トンネルを抜ける。下りのケーブルカーとすれ違う。こども達と手を振る。急勾配に差し掛かる。私の体も重たくなる。ほどなくして駅に着く。たった5分の小旅行。摩耶ケーブル。開業100周年、おめでとうございます。

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萩原珈琲株式会社

代表取締役 萩原英治

ヒストリー

HISTORY

大正11年(1922)10. 12

 

大正14年(1925)  1.   6

昭和  5年(1930)  6.   6

昭和13年(1938)  7.   5

昭和19年(1944)  2. 11

昭和29年(1954)10. 19

昭和30年(1955)  5.   7

昭和42年(1967)  7.   9
平成  7年(1995)  1. 17
平成13年(2001)  3. 17

​​


平成24年(2012)11. 30
平成25年(2013)  3. 30
令和  5年(2023)  4.   1

摩耶鋼索鉄道株式会社設立

(現:神戸六甲鉄道株式会社)
摩耶鋼索鉄道(摩耶ケーブル)営業開始

摩耶倶楽部(のちの摩耶観光ホテル)営業開始

阪神大水害により摩耶ケーブル営業休止(〜8.4)

戦時中の不要不急路線として営業休止


復活工事着工

運転再開

豪雨災害により運休(〜7/15)
阪神・淡路大震災で被災、長期運休
六甲摩耶鉄道㈱より営業譲渡、

神戸市都市整備公社が
「まやビューライン」として運行再開
2代目車両が最終運行
3代目車両運行開始
営業譲渡により、

株式会社こうべ未来都市機構が運営

 

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